些細なことで迷ってしまう・・という相談に荘子の考えを元に話していました。
生きていると、たくさん選択するときがあり、迷ってしまうことがあります。
それで、先に進めなかったり、後悔したり、迷惑をかけたり・・。
荘子の考えを少し理解すると、選択時に役立つ1つのヒントになるかも・・って内容でした。
その内容の一部です。
世の中 悪いことといいことがはっきりしてて
「禍福は あざなえる縄のごとし」っていうことわざがあるんですけど
これは いいことも悪いことも縄みたいに 順番に出てくる。
いいこともやって来るよっていうふうに言うんですけどそれじゃ ちょっと違う。
悪いことの中にも良いことの種が植え込まれてるということが言いたいわけですね。
だから いいこととか悪いこととか私たちは言うけどどっちも実はなくて
勝手に いいこと 悪いことって決めつけてるだけなんじゃないかと。
だから 選択肢に良し悪しの違いなんてない
猿回しの親方が 猿に向かってこんな相談をしました。
「お前たちに与える えさの数だが朝に3つ 夜に4つというのはどうだろうか?」。
すると 猿は…。「ウッキ~!」と怒りだしました。
そこで 親方は こう言います。
朝に4つ 夜に3つではどうか?
この提案に 猿は…。「すぐに4つ食べられる!」とウキウキ。
でも ちょっと待って下さい。
3+4も 4+3も 答えは7。同じ。 3つが先か 4つが先か
目の前の多い・少ないに喜んだり怒ったりする猿の姿。
これこそ 目の前の選択肢が「いいか」「悪いか」で一喜一憂する私たち人間の姿なのです。
最初 3つの方が損だ これ4つの方が得だって
その損得勘定だけで 物事を 僕らは考えがち…
それは まさに 迷いが生じる原因ということ。
損得勘定しちゃう…。 だから迷いの根源にあるものっていうのは…
失敗か成功かとか これをやったらば成功しそうだなとか。 それで失敗すると
「ああ やっぱり あっちを選んどきゃよかった」って そっちを選んでも やっぱり失敗するのに
良し悪しを分けてしまうこと。 論理的に。
損得勘定でもいいんですよ。損か得か計算して分析するってことですから。
これに やっぱり 人間は相当 惑わされてるなって気はしますよね。
実は みんな こうやって 理屈でもう分析してるから悩んでるんですよと。
そういうことが私たちの迷いの原因になる。
結局そうやって分けて選択肢が いくつかあります。
「さあ どれにしますか?」じゃなくて もう選択肢なんて1個しかないんだっていうふうに思えれば
つまり 分析を もうしなければ 私たちは何も迷うことがない
ということなかなか やっぱり迷うっていうのはね これは もう私たち生きてる限りしかたないんだけれども
荘子が言うみたいに 結局 迷って選んだって どれもね いいも悪いもないというふうに思ってれば
迷うことを楽しむこともできますよね
どれを選んだっていいんだったら これは楽しい選択になるわけですから。
じゃあ どれを選ぼうか ここで悩むわけですけど
えいやで決めればいいっていうのが 実は 荘子の考え方だと
だから どうしても迷うんだ。どれも一緒なんだったら
別に鉛筆転がして選んでも いいわけじゃないですか。
もちろんね 重大なこともありますから それは ちゃんと考えた上でっていうことなんですけど
極端に言うと 最後の最後はね どっちも決められないんだったら
そうするしかないということだと思うんですね。
私たちの状況っていうのは もう必然的にね 与えられたものですから
だから もう これは 例えばそれが悪い選択だなって思ったって
それが つらくて苦しんでるのはもったいないじゃないですか。
だから なんとか「これも よかった」と思うしかないということですね。
高校生たちが 今 自粛の状況になって学校も行けない「今年は不幸だ」みたいなこと 最初 言ってたんですけど
だんだん 話す中で彼女たちとか彼らがね
ああ でも この状況っていうのも何か自分たちの経験になったりね
後から思えば あの時 何かいろいろ工夫したなとか耐えたなとか
そういうふうにも考えられるかもっていうことを話しだすのを聞いて
私は これ 荘子の考え方に似てると・・